復興支援活動で宿泊拠点となった仙台市。宿泊先のビジネスホテルがあるクリスロード商店街は七夕飾りがずらっと並ぶアーケード街。ホテルの前は七夕飾りを見に来た人で毎日大混雑だった。活動現場から帰ってきてバスを降り、大きなザックやゴム長靴の入った袋を担いで、飾りの房を掻き分けながら、人並みに逆らってホテルへ向かうのは、少々顰蹙に感じた。
ホテルにもリーフレットやうちわがおいてあり、初日から気になっていたが、毎日の活動に余裕ができてきたので、見物に行くことにした。
一番気になっていたのは、新聞の一面にも載った小中学生による千羽鶴の飾り。また、今年は震災後ということで、例年にない願いをこめた飾りがあるのではないかと思い、探してみた。

星に願いを。仙台市内、児童生徒・8万人の想い。194校の児童・生徒が折った8万羽の鶴が一番町通と中央通の交差点に飾られた。

1本ずつ学校名が短冊に記されている

自分の学校の名前を探す親子

学校名を一生懸命探す

学校名の入った短冊を持って家族で記念撮影

来られなかった子どもや家族のために

南三陸町歌津中学校避難所のみなさんも

日本、東北、被災3県の絆を

心ひとつに

コンテストで金賞を受賞した飾り。豪華絢爛。手間もかかっている。
2011 年 8 月 7 日( 日 )23 時 59 分 |
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カテゴリー:調査
タグ:,仙台七夕まつり, 仙台市, 宮城県, 東日本大震災
復興支援活動の合間に、仙台市宮城野区福住町町内会の夏まつりを見に行って来た。役員の皆さんとは1ヵ月半ぶりの再会を果たし、今後の支援の模索もして来た。
6月に仙台市宮城野区福住町町内会の支援活動に行った際、「8月に町内会の夏まつりを開催するから、ぜひ遊びに来て下さい」とお誘いを受けていた。また、支援活動時にお世話になったお礼をかねて西尾市の地元限定抹茶入り飲料を送ったところ、FAXでまつりの次第まで送って下さって、再びのお誘いとなった。
福住町は仙台駅からJR仙石線で13分、各駅停車で6個目の駅「福田町」から歩いて10分くらい。300世帯ほどの町で西尾市の町内会と比較すると大きめ。もっとも大都会の市街地の町内会と西尾市のような郊外の町内会とでは比較するのは無理があるが、いろいろな活動を比較する上で規模は参考になる。また、自主防災会活動は先進的で、勉強になる点がたくさんあり、今後とも交流を深めていきたいと考えている。
一番びっくりしたのは、町内にある福住公園に露天商まで呼び込んで盛大にやっていること。公園全体をビアガーデン風のテーブル席やステージ前のゴザを敷いた座敷席でいっぱいにし、住民がゆっくり腰を落ち着けて交流できるようにしている。中央のステージでは、町内の有志がダンスや踊りを披露している。

マル・マル・モリ・モリ…みんなに大人気。なんども繰り返して踊っていました。

ステージ正面の座敷席は知り合いが演ずる出し物を見るのにうってつけ

テーブル席で家族団らん

町内の情報交換も
正直なところ、「被災地でありながらよくぞここまで…」というのが第一印象、あまりのにぎやかさに唖然としてしまった。彼らにしてみれば、毎年やってきたことだから、通常の生活に戻ることが復興の第一歩であり、にぎやかに盛り上がることが、町民相互の支えあいの素という気持ちがあるのだろう。苦しいときにも、当たり前のイベントをこなしていけば、後から自信につながっていくのだろう。
ステージでは、山形県尾花沢市から訪れた皆さんが「おばなざわ花笠まつり」の踊りを披露して交流を深めたりもしている。会場に到着したときには、花笠まつりの踊りが終わった後だったので、福住町にエールを送る笠廻しは見られなかった。ちょっと残念だった。
尾花沢市の豪雪時に福住町が支援し、今回の仙台市の東日本大震災での被災に尾花沢市鶴子地区が支援したりと、「いざというときの支援と通常時の交流」が、効果的に実現されている。

地域ブランド「尾花沢スイカ」。お祝いメッセージを刻んで、尾花沢市鶴子地区連合区会から届けられた。尾花沢は日本一のスイカの名産地。

福住町公民館に掲げられている支援協定締結式の写真
町内会相互の支援協定や実際の相互支援・相互交流は、今後も勉強させていただこうと考えている。西尾市の場合は、福井県越前町と行政レベルで協定を結んでいるが、残念ながら実効性が薄い。西尾・朝日友好の会を通じて、福住町のような町内会レベルの相互支援協定を結べるようになったらよいと思う。
2011 年 8 月 6 日( 土 )23 時 59 分 |
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カテゴリー:交流
タグ:,おばなざわ花笠まつり, 仙台市, 仙台市宮城野区, 仙台市宮城野区福住町町内会, 宮城県, 尾花沢スイカ, 尾花沢市, 尾花沢市鶴子地区連合区会, 山形県, 愛知県, 災害時相互支援, 福井県, 西尾市, 越前町
復興支援活動の作業は、ボランティアセンターに戻るのが15時、宿泊先の仙台市内へ戻ってくるのが17時という目安で日程を組んでいる。夕食は各自で食べることになっているので、毎晩、仙台市内の繁華街で、いろいろな食事を楽しむことができる。町を歩いて気がついたのは、震災ルックが一人も見当たらないということ。
6月に宮城野区の町内会を訪れて支援活動をした際、仙台市内でも家屋の損壊や津波被害があり、避難所暮らしをしている方もいたので、仙台駅前でも、震災の爪あとが残っているものと思っていた。
実際は、思っていたほどではなく、ごく普通の大都市の繁華街のような雰囲気だった。会社勤めのビジネスパーソンは当たり前にスーツ姿で、そうでない一般の人たちも着るものに困っているふうでもなく、観光客や町へ遊びに来たと思しき人たちは、おしゃれ着を着ている様子で、被災地という雰囲気は感じられない。ペデストリアンデッキからもよく見えるホテルメトロポリタン仙台の大きな垂れ幕「がんばろう東北」がなければ、信じてもらえないかもしれない。

メトロポリタン仙台の壁面に掲げられた「がんばろう東北」のメッセージ
支援活動から帰ってきた自分たちが、ヘルメットやゴム長靴の入ったビニル袋や大きなザックを担いで、クリスロード商店街の七夕飾りの下をくぐりながらホテルへ向かって歩いているのが、もっとも被災地らしい雰囲気だったかもしれない。
2011 年 8 月 6 日( 土 )23 時 58 分 |
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カテゴリー:視察
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